カテゴリー別アーカイブ: ラブホテルの事情

ラブホ発明王が福島を救う その4

1979年(昭和54年)の頃です。老夫婦がやっているラブホでしたね。「ここはいい場所だから内装を変えたらお客さんが入りますよ!」とか「僕がやりたいぐらいですよ!」と連日行っていたら突然、「それならアンタガ買ってやってみるかい?」と言われたのです。自分も時々は浮気とかでラブホテルを利用していたから、儲かる商売だとはなんとなくわかっていたんですよ。それでかなり悩みましたが、半分は金利なしの月賦でいいというものだから買ってしまいました。それがここ、パステル花なんです。

 当時の原田さんはラブホ経営に関してはズブの素人。しかし、利用者目線で購入したラブホを改築し始めた。

まずはお湯ですね。当時のこの辺のラブホは湯船にお湯を入れてもチョロチョロとでるだけでたまるまで30分ぐらいかかるのが普通だった。ならば3分で水がたまるように工事をしようと思った。元々、ポンプの仕事をやっているからどうすればいいかわかっていたからね。次に内装。まだ「結局は真っ暗でヤルのだからインテリアなんて関係ないべ」とか言う同業者がいる時代だったから、むしろ女性が喜ぶ凝ったものを作ろうとおもったね。

ラブホ発明王が福島を救う その3

12万枚ぐらいチラシを印刷して新聞の折り込み広告として入れたら朝から電話が鳴りっぱなしでしたね。工事といっても農家の庭を平坦にしてブルックを置き、その上にプレハブを建てるだけだから1日でできちゃう。だいたい1棟売れると10万円の儲けになる。それが1ヶ月で30戸くらいあったからかなり儲かりました。でもね、1年くらいするとそれが10戸をきるようになった。やっぱり営業できる地域がきまっているから限度があるからね。それでもプレハブ建設のために雇った大工たちを食べさせなくてはいけない。住宅建築や内装でもなんでもやるようになって、郡山のクラブの内装をするようになりました。

ムーディーな雰囲気作りが必須なクラブの内装を多く手がけるようになった原田さんにある友人が「クラブの内装ができるならばラブホテルの内装もやれるのではないか」と知り合いのホテルを紹介してくれた。1件でも仕事がほしい原田さんは必死の営業を開始する。

ラブホ発明王が福島を救う その2

主に下水処理、浄水関係を多くやりましたね。10年と少し働いて、仙台の工事課長までやって脱サラして同業種のの会社を興しました。思惑がありましてね。あの頃の水処理メーカーの仕事なんて全部談合みたいなものだから、仕事の仲間たちが「独立したら仕事を紹介するから」と言うのを信じたのです。でもね、それは会社に所属しているときの約束で実際に独立したら個人ですから話が違ってくる。だんだん仕事がなくなってきて、藤沢の実家のつてで知った「勉強部屋」という商売を始めました。

当時(昭和45年頃)は高度経済成長の真っ盛り。地方でもお金に余裕のある家庭も増えて、子供の教育にお金を使うことが出来るようになってきていた。「勉強部屋」とは4畳半から6畳ぐらいのプレハブ住宅のことで、原田さんはそれを一戸60万円ほどで販売していたという。当時の物価を考えるとかなり高価のような気がするが、間仕切りがない家屋で生活していた農家を中心に飛ぶように売れたという。

ラブホ発明王が福島を救う その1

バステル花オーナー・原田守さんインタビュー

onaラブホテルに携わる人の言葉。それらは確かに「特別な職業」で働く「特別な言葉」かもしれない。しかし、、その根底にあるものはほかの職業と同じく「お客さんに喜んで欲しい」というサービス精神であり、何よりも、より良い生活を望むという市井の人達と同様に当たり前な希望だ。

福島県鏡石町にあるラブホテル「バステル花」。オーナーの原田守さんは1030年(昭和12年)生まれで神奈川県藤沢市出身。子供の頃から機械が好きで進学先を福島県郡山市にある日本大学後部に選んだ事が東北の地に居を構えるきっかけとなった。卒業後、就職したのがポンプなどを扱う大手の産業機器メーカーだった。