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ラブホ発明王が福島を救う その2

主に下水処理、浄水関係を多くやりましたね。10年と少し働いて、仙台の工事課長までやって脱サラして同業種のの会社を興しました。思惑がありましてね。あの頃の水処理メーカーの仕事なんて全部談合みたいなものだから、仕事の仲間たちが「独立したら仕事を紹介するから」と言うのを信じたのです。でもね、それは会社に所属しているときの約束で実際に独立したら個人ですから話が違ってくる。だんだん仕事がなくなってきて、藤沢の実家のつてで知った「勉強部屋」という商売を始めました。

当時(昭和45年頃)は高度経済成長の真っ盛り。地方でもお金に余裕のある家庭も増えて、子供の教育にお金を使うことが出来るようになってきていた。「勉強部屋」とは4畳半から6畳ぐらいのプレハブ住宅のことで、原田さんはそれを一戸60万円ほどで販売していたという。当時の物価を考えるとかなり高価のような気がするが、間仕切りがない家屋で生活していた農家を中心に飛ぶように売れたという。